遊説断り相撲見物

今月はじめ、今年も高知合宿が行われました。
親方の出身地というご縁で始まった合宿も今年で5回目。
 
時間のあるときには街歩きをしている夫ですが、
今回は板垣退助邸跡を訪れたそう。
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明治42年に相撲常設館が完成したときの開館委員長だった板垣。
彼の相撲好きは有名ですが、自邸に設けられた土俵に
しばしば力士を呼んで相撲を取らせていたそうです。
 
NPO法人「板垣会」の副理事長・公文豪氏によると
板垣は、自由党総理という重責にありながら、回向院で本場所が始まると、
「この相撲を見ずにどこに行かれるものか」と九州遊説の催促を一喝して断った逸話もあるのだとか。
 
板垣は、当初入門を拒んでいた、のちに第22横綱となる太刀山を説得し友綱部屋に入門させました。
出身地である富山の名峰・立山にちなんで「太刀山」と命名したのも彼。
 
83歳で没した板垣の葬儀では、力士16名が霊柩を担いだそう。
また、高知公園に銅像を建立する際には相撲協会国技館で寄付興行を行って
純益を寄付したとのこと。
板垣が近代大相撲にとっての大恩人だったことがうかがえます。
 
再来年の2019年には百回忌を迎えるそうです。