2016-01-01から1年間の記事一覧

幕下上位に5人がひしめく

九州場所千秋楽に朝赤龍が敗れ幕下陥落が決定的となり、同時に高砂部屋の関取消滅も決定的となったわけですが、その朝赤龍に水をつけたのは、前の一番で勝って勝ち越しを決めた朝弁慶でした。 朝弁慶はあとひとつ白星が足りず十両復帰は叶わない成績に終わっ…

新たな歴史を刻む高砂部屋

前回、「目の前の1勝にこだわりすぎなくても」と書きましたが、 されど1勝はかくも大きいものかとことさら今回は考えさせられました。 新聞などで話題になっているので、ご存じの方は多いと思いますが、 明治11年の創設以来、138年もの間、関取を絶やすこ…

叩き込みが増えたのは‥‥‥

「叩き込み」が増えたのは、千秋楽の放送で話題になったとおり、 叩くと簡単に落ちる、体重をもて余し気味の力士が増え、 ならばと安易に叩きにいく力士も増えたからだろうと思います。 それからもうひとつ、私が常々その理由のひとつと考えているのは、 目…

“取りごろ”の体重

千秋楽のテレビ放送の実況は藤井アナウンサー、 解説は正面が北の富士さん、向正面が舞の海さんでした。 大関取りの高安が不甲斐ない成績に終わったことについて、 北の富士さんがその原因のひとつに体重の過度な増加があるのではないかと指摘。 いわく、こ…

全勝経験大関の行き着く先は…

鶴竜が結びの一番で豪栄道を下し、14日目にして優勝が決定。 豪栄道の綱とりは振り出しに。 先場所の豪栄道はカド番で全勝優勝。 カド番大関の優勝は8人目だったそうですが、全勝となると史上初の快挙。 大関で全勝したのは、15日制になって以降、豪栄道…

整形外科医らと四つに

数年前から軽い挫骨神経痛があったのですが、痛いというより違和感を感じる程度で、 歩くのはもちろん、立ったり座ったりするのにも影響はなく、 いつの間にかその違和感が消えているような状態でした。 しかし今回は1週間ほど前から激しい痛みに襲われ、 …

九州人の地元愛

昨日の結びは遠藤会心の、近い将来の横綱昇進を予感させるような一番となりました。 たしかに「危ないので座布団は投げないでください」なんですが、 こういうときに座布団が舞わないと、やや物足りなさを感じてしまうのもファンとしては正直なところです。 …

九州泰平。

初日前日の朝日新聞に、この60年を振り返って 「九州場所の主なできごと」が年表にまとめられていました。 改めて見てみると、うれしいこと、残念なこと、たくさんのドラマがあったんですね~ 千代の富士の連勝が53でストップした(1988年)のも、 白鵬の連…

北の富士さんの九州場所

今日が本当の前夜ですが… おとといの「九州場所前夜祭」では、郷土出身力士の紹介、横綱土俵入り、 初っ切り、相撲甚句、太鼓打ち分け、関取に挑戦、力士のど自慢などのほか、 3年ほど前からプログラムにインタビューを加えているそうです。 去年のゲストは…

前夜じゃないけど前夜祭

今日は福岡国際センターで、「大相撲九州場所前夜祭」が催されました。 「前夜祭」とはいっても、3日前の午後3時開演、6時終演。 横綱土俵入りや初っ切り、子ども力士の“関取に挑戦”はもちろん、 トークイベントや関取のど自慢などが行われるのはすべて土…

60周年記念☆

今場所の入場券は 「九州本場所60周年」のマーク入り(^^)v

九州場所60周年

今年60周年を迎える九州場所。 昭和32年に初めて本場所として開催され、 大分県出身の玉乃海が全勝優勝を飾りました。 その前年と前々年には準本場所として開催されましたが、 実はそれよりもずっと前の昭和5年10月に 当時行われていた関西場所の一環として …

遊説断り相撲見物

今月はじめ、今年も高知合宿が行われました。 親方の出身地というご縁で始まった合宿も今年で5回目。 時間のあるときには街歩きをしている夫ですが、 今回は板垣退助邸跡を訪れたそう。 明治42年に相撲常設館が完成したときの開館委員長だった板垣。 彼の相…

豊洲市場と豪栄道の優勝

きのう、久しぶりに浅草演芸ホールへ。 夜の部の8組ほどを楽しんできました。 そのうち漫談、漫才、落語のマクラを含め、相撲ネタを取り上げたのが、5組。 一方の野球は大谷投手の名前がちらりと出ただけ。 いまの相撲人気の高さを改めて感じました。 三遊…

建立100年の相撲記者碑

念願の相撲常設館として、回向院の境内北に旧両国国技館が完成したのが明治42年。 それ以前の、天保4年から76年間は、回向院境内の掛け小屋が年2回の興行の定場所でした。 相撲と浅からぬ縁のある回向院には、 相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立し…

旧両国国技館での断髪式

早稲田大学を卒業し、インテリ力士として有名だった笠置山。 卒業前に十両昇進を果たしていたため、卒業式には関取の正装である大銀杏を結って出席しています。 出羽の海部屋では、打倒双葉山の「参謀役」として その連勝を止めるための対策と研究に明け暮れ…

蔵前国技館は下水道局に

ちなみに夫は、25年に及ぶ力士人生のうちの1年間、蔵前の土俵に上がっています。 そして結婚後の新居は、蔵前国技館跡のすぐ近くでした。 「あのへんが支度部屋だった」 「このへんには裏口があって、出てすぐのところにあったお店に 15、6の若いお相撲さん…

二代目両国国技館は安泰

進駐軍に接収されてからは、常設館の建設用地を探しながら、 神宮外苑や浜町の仮設国技館で本場所を開催していたといいます。 蔵前に相撲協会の土地があったことが判明し、 仮設の建物で本場所を行いながら本工事を進め、 蔵前国技館が完成したのは、昭和29…

旧両国国技館の数奇な運命

関東大震災から復旧したあとの国技館が安泰だったかというとさにあらず、 波瀾万丈の歳月を経て、いまに至っています。 昭和11年からの双葉山の大活躍によって活況を取り戻したのも束の間、 その後の戦況悪化にともなって、19年軍に接収され風船爆弾工場に。…

国技館の度重なる災難

関東大震災で焼け落ちた両国国技館は実は、 それ以前にも相次ぐ災難に見舞われていました。 梅ケ谷と常陸山の台頭による相撲人気の高まりを受け、 天候に左右されない相撲常設館が熱望され、 ついに両国回向院境内に建立されたのが明治42年。 「国技館」と名…

国技館も全焼

関東大震災が起きたのは93年前の9月1日。 M7.9、10万人を超す死者・行方不明者が出ました。 住家が密集している東京では大規模な火災が発生したため、 犠牲者の死因の実に9割は火災だそう。 とくに、いまは東京都横網町公園として整備されている、本所の陸軍…

車イスのまま観戦したい

8月14日付けの東京新聞一面に、10月に開催予定の入間市での巡業で、勧進元が当初、車イスのまま観戦することを断っていたという記事が掲載されていました。 断られたのは、埼玉県に住む四肢まひの女性で、支えやベルトのない一般の椅子には自力で座れず、車…

千代の富士さんとのお別れ

先週末、故・千代の富士さんのご葬儀が九重部屋で行われました。 九重部屋後援会の会長さんが葬儀委員長を、部屋のある石原4丁目の町会長さんが副委員長を務められ、6日のお通夜には2000人、7日の告別式には1000人もの方々が参列されたそうです。 千代の…

北海道合宿の行方は…?

記帳台・献花台は、親方の郷土の北海道は福島町の横綱千代の山・千代の富士記念館にも明日まで設けられているそう。 函館からクルマで2時間ほどの福島町は、横綱を二人輩出した町として「横綱の里」と謳っています。 1997年にオープンした横綱記念館には、…

相撲への入口は千代の富士

父が相撲好きだったので、相撲期間中のテレビのチャンネルは相撲中継に合っているのが、物心ついたときから当たり前でした。 それでも10代後半までその相撲にまったく興味を示さなかった私…。 それがあるとき、ふとテレビの相撲に目をやると、釘付けに。 そ…

馬力かけすぎて力はいっちゃった。

最近使われなくなった隠語として、 「石炭を焚く」のほかに北の富士さんが挙げられたのが、「馬力」。 たとえば、「豊響は馬力がある」の「馬力」は体力とか精力とか活力とか、 そんな意味で使われる一般用語で、隠語ではありません。 その日の実況担当だっ…

カド番と横綱昇進の関係

1969年以降、カド番を複数回経験した大関が横綱に上がった例は、 琴櫻(3回)、三重ノ海(3回)、若乃花(3回)のみ。 現役横綱の大関時代のカド番経験は、鶴竜はなし、白鵬と日馬富士は1回ずつ。 ちなみに、カド番がいちばん多かったのは、千代大海の14…

来場所もカド番大関が…

照ノ富士が千秋楽にようやく勝ち越してカド番を脱したと思ったら、 豪栄道は負け越し、7日目から休場した琴奨菊とともに来場所カド番に。 ここのところ毎場所、誰かしらがカド番に陥ってる気がするのは気のせい? と思って調べてみたら、毎場所ってことはな…

石炭焚かんかい!

何日か前のNHKの放送で北の富士勝昭さんが、相撲界で最近使われなくなった、 いわゆる隠語として「石炭を焚く」を挙げていらっしゃいました。 さっそく夫に取材。 「ぼやぼやしてないで急げ」という意味で「石炭を焚け」が使われるのだそうですが、 北の富士…

太鼓芸能集団♪

玉三郎さんが芸術監督を務める「鼓童」は佐渡を本拠地として活動する「太鼓芸能集団」。 今年、創立35周年を迎えるそうです。 その特別企画として、玉三郎さんの解説付きのプレミアムコンサートが熊本県の八千代座で開催されました。 世界の鼓童、一度は見て…