千代の富士さんとのお別れ
先週末、故・千代の富士さんのご葬儀が九重部屋で行われました。
九重部屋後援会の会長さんが葬儀委員長を、部屋のある石原4丁目の町会長さんが副委員長を務められ、6日のお通夜には2000人、7日の告別式には1000人もの方々が参列されたそうです。
千代の富士さんの亡骸を乗せた霊柩車が、部屋を出たあと国技館を経由したとの報に、一層寂しさを感じました。
初めて国技館で観戦したのは、私が渡豪する直前の1990年五月場所。
帰国する前に“千代の富士”が引退してしまったら、生でその相撲を見ることができなくなってしまうから、とその場所2度、国技館に足を運びました。
勝って花道を引き上げる横綱の写真をオーストラリアにもっていき、時おり友人たちに見せたのを覚えています。
相撲と出会わせてくれた、かっこよかった横綱“千代の富士”に改めて感謝します。
↑会葬御礼のクオカード
九重部屋後援会の会長さんが葬儀委員長を、部屋のある石原4丁目の町会長さんが副委員長を務められ、6日のお通夜には2000人、7日の告別式には1000人もの方々が参列されたそうです。
千代の富士さんの亡骸を乗せた霊柩車が、部屋を出たあと国技館を経由したとの報に、一層寂しさを感じました。
初めて国技館で観戦したのは、私が渡豪する直前の1990年五月場所。
帰国する前に“千代の富士”が引退してしまったら、生でその相撲を見ることができなくなってしまうから、とその場所2度、国技館に足を運びました。
勝って花道を引き上げる横綱の写真をオーストラリアにもっていき、時おり友人たちに見せたのを覚えています。
相撲と出会わせてくれた、かっこよかった横綱“千代の富士”に改めて感謝します。
↑会葬御礼のクオカード