相撲への入口は千代の富士
父が相撲好きだったので、相撲期間中のテレビのチャンネルは相撲中継に合っているのが、物心ついたときから当たり前でした。
それでも10代後半までその相撲にまったく興味を示さなかった私…。
それがあるとき、ふとテレビの相撲に目をやると、釘付けに。
その視線の先にいたのが、“千代の富士”でした。
立ち合いの鋭い目に魅了されたのです。
ほんの数秒で勝敗が決してしまうこともある、短い取組の背後には、私たちの知らない、たいへんな努力が隠されているんだろうなと思って以来、相撲に引き込まれていきました。
ちょうど受験勉強をしているころだったので、千代の富士さんのがんばっている姿に励まされたものです。
いまや30年にも及ぶ相撲ファンへの入口は千代の富士さんだったのです。
その九重親方が逝ってしまわれました。
千代大海の佐ノ山親方が、「師匠がいなかったら、いまの自分はない」と話しておられましたが、私も千代の富士さんの相撲に出会っていなければ、いまとは違う人生を歩んでいたかも。
今日、九重部屋の前の献花台にお花を手向け、記帳させてもらってきました。
ご冥福をお祈りします。
それでも10代後半までその相撲にまったく興味を示さなかった私…。
それがあるとき、ふとテレビの相撲に目をやると、釘付けに。
その視線の先にいたのが、“千代の富士”でした。
立ち合いの鋭い目に魅了されたのです。
ほんの数秒で勝敗が決してしまうこともある、短い取組の背後には、私たちの知らない、たいへんな努力が隠されているんだろうなと思って以来、相撲に引き込まれていきました。
ちょうど受験勉強をしているころだったので、千代の富士さんのがんばっている姿に励まされたものです。
いまや30年にも及ぶ相撲ファンへの入口は千代の富士さんだったのです。
その九重親方が逝ってしまわれました。
千代大海の佐ノ山親方が、「師匠がいなかったら、いまの自分はない」と話しておられましたが、私も千代の富士さんの相撲に出会っていなければ、いまとは違う人生を歩んでいたかも。
今日、九重部屋の前の献花台にお花を手向け、記帳させてもらってきました。
ご冥福をお祈りします。