#その他歴史

相撲茶屋のはじまり

「茶屋便り」創刊号(平成15年9月発行)によると、 茶屋制度の前身が誕生したのは、江戸勧進相撲が始まったころ、つまり200年以上も前のことだそう。 相撲見物する観客のなかで世話役を買って出る人たちが、 桟敷札(観戦券)を買う手配をしたり、飲食の面倒…

上州家さんとのご縁

お茶屋さんは1番から20番まであります。 8番上州家の現女将は、故房錦さんの娘さん。 夫が入門したのは房錦さんの若松部屋でしたから、上州家さんともご縁があります。 富山出身の元力士・大谷米太郎氏(ホテルニューオータニの創業者)が買い取ったお茶屋(…

高砂部屋と高砂家

2度続けてピンボケ写真を使って恐縮ですが、 帳場にいらっしゃる着物姿の方が高砂家の女将さん。 第19代横綱・常陸山のひ孫さんです。 常陸山は出羽ノ海部屋所属の力士で、引退後も年寄・出羽ノ海を襲名しましたが、 初代高砂浦五郎を尊敬していたことから、…

九州泰平。

初日前日の朝日新聞に、この60年を振り返って 「九州場所の主なできごと」が年表にまとめられていました。 改めて見てみると、うれしいこと、残念なこと、たくさんのドラマがあったんですね~ 千代の富士の連勝が53でストップした(1988年)のも、 白鵬の連…

九州場所60周年

今年60周年を迎える九州場所。 昭和32年に初めて本場所として開催され、 大分県出身の玉乃海が全勝優勝を飾りました。 その前年と前々年には準本場所として開催されましたが、 実はそれよりもずっと前の昭和5年10月に 当時行われていた関西場所の一環として …

蔵前国技館は下水道局に

ちなみに夫は、25年に及ぶ力士人生のうちの1年間、蔵前の土俵に上がっています。 そして結婚後の新居は、蔵前国技館跡のすぐ近くでした。 「あのへんが支度部屋だった」 「このへんには裏口があって、出てすぐのところにあったお店に 15、6の若いお相撲さん…

二代目両国国技館は安泰

進駐軍に接収されてからは、常設館の建設用地を探しながら、 神宮外苑や浜町の仮設国技館で本場所を開催していたといいます。 蔵前に相撲協会の土地があったことが判明し、 仮設の建物で本場所を行いながら本工事を進め、 蔵前国技館が完成したのは、昭和29…

旧両国国技館の数奇な運命

関東大震災から復旧したあとの国技館が安泰だったかというとさにあらず、 波瀾万丈の歳月を経て、いまに至っています。 昭和11年からの双葉山の大活躍によって活況を取り戻したのも束の間、 その後の戦況悪化にともなって、19年軍に接収され風船爆弾工場に。…