二代目両国国技館は安泰

進駐軍に接収されてからは、常設館の建設用地を探しながら、
神宮外苑や浜町の仮設国技館本場所を開催していたといいます。
 
蔵前に相撲協会の土地があったことが判明し、
仮設の建物で本場所を行いながら本工事を進め、
蔵前国技館が完成したのは、昭和29年9月のこと。
 
60年1月、両国にいまの国技館が建てられるまで、
30年ほど本場所が行われました。
 
国技館が相撲の聖地・両国に戻ってからは災難に見舞われることもなく、
すでに30年が過ぎています。
 
この二代目両国国技館建設にあたっての、微笑ましいエピソードを
小坂秀二『大相撲ちょっといい話』から引きます。
 
当初の見積りは160億円余りで、借金なしで建てるには10億円足りなかった。
そこで元栃錦の春日野理事長が元若乃花の二子山事業部長とともに
施工主である鹿島建設の社長のもとに出向き10億円まけてもらったそう。
 
社長「栃若ご両人に来られちゃかないません」
理事長「私たちは相手を負かすのが商売ですから」