相撲茶屋のはじまり

「茶屋便り」創刊号(平成159月発行)によると、
茶屋制度の前身が誕生したのは、江戸勧進相撲が始まったころ、つまり200年以上も前のことだそう。
相撲見物する観客のなかで世話役を買って出る人たちが、
桟敷札(観戦券)を買う手配をしたり、飲食の面倒を見たりするうちに自然派生したといいます。
 
相撲会所(相撲協会)にも認知されるようになり、はじめのうちは「桟敷方」と呼ばれていたようです。
「相撲茶屋」と呼ばれるようになったのは、明治42年の旧両国国技館の設立時。
昭和32年には、「案内所」となり、屋号ではなく番号で呼称されていたのだとか。
 
ご紹介した高砂家さん、上州家さんのように、
相撲案内所は代々、相撲関係者やその縁戚の間で経営権が受け継がれています。
 
元お相撲さんの縁者がほとんどですが、
なかには、第12式守伊之助が初代という9番の西川家さんや、
梅・常陸時代に美声で知られた呼出し勘太郎が初代の15番長谷川家さん、
総出身の鷹中吉という出方さんが初代の11番上庄さんなど、
力士以外に所縁のあるお茶屋さんもあります。
 
1番から20番までの相撲案内所がにぎやかに軒を連ねる
通称「茶屋通り」を歩いて相撲情緒に浸るのも東京場所の楽しみのひとつです。
 
ところで、この「茶屋便り」、最近はとんと見かけませんが、
創刊号がら何号まで発行されていたんでしょうか…。
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