ラジオ“聴戦”のススメ2

たまにはラジオでお相撲を聴くのもいいですよ。
なんて書きましたが、場所で観戦する以外はラジオで聴くしかない時代もあったんですよねー
 
といっても、それはほんの50年ほど前のこと。
「テレビは一家に1台」が当たり前となって久しい昨今ですが、
そのころはまだテレビのある家庭は珍しかった。
 
今年のはじめに、『お早う』という映画を見ました。
1959
年製作の小津安二郎監督作品です。
(ちなみに1959年といえば、日本教育テレビ〈のちのテレビ朝日〉とフジテレビが開局した年だそう)
 
中学1年生のみのるという名の男の子が両親にテレビを買ってくれとせがみ、
買ってもらうまでの物語。
ついでながら、父親役は笠智衆さん、母親役は三宅邦子さん。
 
みのるは学校から帰ると、親に塾に行ってくるといっては、
その界隈で唯一テレビのあるお隣さん宅で友だちとテレビを見ています。
見ているのは、お相撲。
そして自分の家にテレビを買ってもらって見たかったのは、やっぱりお相撲。
この時代は子どもたちもお相撲に夢中だったんですね。
 
さて、この映画のなかでやけに印象に残っているセリフがあります。

「お相撲なら、ラジオで聴けばいいじゃない」

テレビを買ってくれない親に反抗し口をまったく利かないみのるに対して
久我美子さん演じる彼の叔母が、さらりと言ったのです。
 
このセリフを聞いて、「お相撲はラジオで聴くのがごく当たり前だったんだ」と妙に得心。
テレビのない時代を経験していない私は、そんな時代があったのだということを
改めて認識させられた気がしました。
 
お相撲をテレビで見ると正確な映像を与えてもらえます。
一方ラジオだと実況をたよりに自分自身で頭のなかに映像をつくり出す。
 
どちらにも捨てがたい長所があるけれど、
ラジオで聴いていた人たちは、テレビ観戦が当たり前となった現代の私たちより
すぐれた能力が自然と備わっていたんだろうなと思います。
 
子どもにテレビをねだられ悩む笠智衆さんが飲み屋で「一億総白痴化」を危惧する場面があります。
テレビが日常生活に深く入り込んでいるいま、
私たちは想像力の低下や思考停止などに陥ってはいないか、考えさせられます。