神様の神様たる所以

自分のまわりで起こっていることがスローモーションに見え、
頭が冴え、判断力、瞬発力が鋭くなる。
そんなことをこれまでに二度経験しました。
原付バイクの練習をわが家の車庫でしていたときと、初めて乗馬したときです。

バイクの練習では、ブレーキレバーを握ろうとしたはずみにアクセルをひいてしまい、急発進。
あわててブレーキをかけたら後輪がロックされたのか、前輪が浮き、
気づくと私を乗せたバイクは宙返りを始めていました。

このまま落ちたら、バイクの下敷きになって死ぬ(死なずとも大ケガをする)!
と察知した刹那に、時間がものすごくゆっくり流れ始め、
自分の重心をどんなふうに移動させればバイクにのしかかられることなく落ちることができるかを冷静に判断し、
すばやく的確にからだを動かすことができたのです。
おかげで、アスファルトにたたきつけられたときの傷と打ち身だけですみました。

初乗馬のときは、馬に振り落とされてしまったのですが、
バイクのときと同様、落ちるとわかった瞬間から、まわりの状況がスローモーションになり、
うまい落ち方をして事なきを得ました。
(それにしても、馬に振り落とされるとは、よっぽど馬になめられたんでしょーね。
「うまい落ち方をした」など自慢にもなりませんけど-_-;

目の前の状況がスローモーションになり、感覚が研ぎ澄まされるという、
この二つの経験に共通しているのは、自分の身が危険に曝されたときに起きたということ。
「火事場の馬鹿力」的なものといえるかもしれません。

さて、先月末に亡くなった「ボールが止まって見える」という名言があまりにも有名な川上哲治さん。
打撃練習で、投手の投げた球が止まって見えたといいます。
その狙いすました打球は、外野のフェンスまで飛んだそう。

川上さんは、ご自身が危険に曝された「火事場」でなくとも、
並々ならぬ努力で、「馬鹿力」を発揮できたんですね。
というよりはむしろ、練習の積み重ねによってからだが危機と感じるような状態に
自分を追い込んでいたのかもしれません。

いずれにしても、凡人のなしうる業では到底ありません。
さすがは「打撃の神様」!

合気道創始者植芝盛平さんも、相手の動きがスローモーションに見えたといいます。
だからバランスが崩れる動き出しの一瞬を突くことができたのでしょう。
こちらは、「合気道の神様」と呼ばれた方の師匠です。

「相撲の神様」といえば双葉山
双葉山の“後の先”もこれと同じだろうと、自称「双葉山研究家」の夫はいいます。
立ち合い、相手が動き始めにバランスを崩した瞬間に合わせてぶつかっていくので、
一瞬あとに立つことになりその結果、効果的に当たれるので先手を取れる、
ということのようです。

双葉山の場合もやはり、状況がスローモーションに見えていて、
判断力と瞬発力が鋭くなっているから、相手に隙ができる一瞬をとらえることができたのだと思います。

自分の身が危険に曝される状況下でなくとも、
平常心でそんな能力を発揮できるとは、まさに超人的☆
人間を超えた存在だから、人々はそれを神と呼ぶわけで、
やはり「神様」と呼ばれる人たちにはそれなりの、確たる理由があるんですね!