五七五は四拍子?!

さて、なぜ日本人は五七/七五調を心地よいと感ずるのか、です。
これは、100年以上もの長きにわたって各分野の学者や研究者に取り上げられてきたけれど、
明確な答えが得られなかったテーマのようです。

そんななかで、興味深い説を唱える本に出会いました。
『日本語のリズム 四拍子文化論』(別宮貞徳著)。

自身は翻訳家で、兄に作曲家を持つ別宮氏によると、
七五調の基盤には、言葉の切れ目と間から生まれる四拍子のリズムがあるというのです。

よく観察してみるとたしかに、五七五七七の和歌をよむときに私たちは、
五音句のあと、七音句のあと、それぞれに自然に間を置いてます。
五七五七七であっても、時間的長さにすれば八八八八八にしてよんでいる。
つまりこれは四拍子にほかならないわけです。

では、われわれ日本人はなぜ四拍子を求めるのか。
それは日本語本来の特性として二音節が一単位にまとめられているため、
日本語では二音節が自然な、発音しやすい音節ということになる。
よって四拍子は日本語の生来のリズムであり、日本人は本性的に四拍子を求めている。
ということらしいです。

日本語の特性によるものだと考えれば、
日本人が五七調や七五調を好むのは、ごくごく自然なことだったのだとわかります。
自分が心動かされたことを表現したいときに、五七五(七七)を用いて俳句や短歌にしたのは、
それがいちばん表現しやすい手段だったからだろうし、
人々の関心をひきつけることを目的にした標語やキャッチコピーは、
五七調あるいは七五調で表すのがもっとも効果的だと
私たち日本人は本能的に知って用いてきたのでしょう。

大正~平成期の洋画家・田中繁吉さんの画集が今年9月に出版された折に、
繁吉さんのご子息とご縁があって、夫は画集出版を祝う甚句をつくらせていただいたのですが、
それまでは繁吉さんのことを知らなかったのに、100年近い人生を詠んだ甚句を読むと、
繁吉さんの人となりがとてもよく伝わってきて、不思議と親しみまで感じました。

それはなぜだろう、と夫とあれこれ考えたところ、
200字ほどの七五調にまとめるため、余計な言葉は削ぎ落とし、
厳選された言葉のみに凝縮するからではないかという、結論に落ち着きました。
 
しかし今回、別宮さんのご本を読んで、この結論は十分ではなかったのではないか、という思いが…。
そうです! 七五調に乗せた言葉だったからこそ日本人である私たちの耳になじみ、
心とからだににす~っと染み入ってきて、繁吉さんを近しく感じられたのだろうと思い至りました。