続・彩色家の引退

前回、優勝額の彩色家・佐藤寿々江さんの引退について書いた時点では
続編は考えていなかったのですが、
たまたま昨日、新聞の切り抜きを整理していたら、佐藤さんが寄稿された記事を発見!
19991119日付けの日経新聞です。

ご自身による原稿はとてもおもしろかったので、
印象に残ったお話をいくつかご紹介しておきます。

最初に着色したのは照国。1951年、佐藤さん23歳のとき。
それから約40年後に、その寄贈先である秋田県の小学校に
優勝額を見にいかれたときの感想をこう綴っておられます。
「久しぶりに再会した額の中の照国は、本人に近い、ピンク色がかった肌をしていた。
一方で、化粧まわしが簡素で、下の房が細く、額も薄い一枚板。
物のない時代だったのだなと改めて思い出した」

佐藤さんにとって印象深い力士はやはり、大鵬北の湖千代の富士など、
何度も額を手がけた横綱たちだそうで、
「例えば千代の富士の場合、最初に優勝したときは、写真に余白が多かった。
しかし優勝を重ねるに従って筋肉が盛り上がり、余白を感じなくなって、顔も精悍になった」そう。
彩色家ならではの視点です。

描きやすかった力士は、“お兄ちゃん”こと若乃花
「肌がなめらかで、絵の具で再現しやすい。筋肉質の力士なので、筋肉や骨の陰影もよく出る」とか。

48年も力士を描いていながら、実際に会ったことがある力士は、千代の富士貴乃花だけ。
相撲は子供のころから好きだが、ほとんどテレビ観戦で、国技館に行ったこともあまりない。
相撲と近いようで、遠い仕事である」と書かれているので、
優勝額の贈呈式に立ち会うようになられたのは、比較的最近のことなのでしょう。
というより、このころまでは、贈呈式自体行われていなかったのかもしれません。

記事はこう締めくくられています。
「写真に色をつける優勝額づくりがいつまで続くのかは分からないが、仕事がある限り、続けたいと思う」

毎日新聞社さん側は「仕事」をまだまだお願いしたかったのだと思いますから、
惜しまれながらの引退だったに違いありません。