番付の流行

先週、春場所の番付が発表されました。
注目を集めたのは、まだ髷が結えない遠藤関の前頭筆頭への躍進。
三役目前の彼がどんな相撲をとるのか、期待がかかります。

さて、この番付表。
現在は、右に東方の力士、左に西方の力士を配する縦型一枚の江戸相撲の番付を踏襲しています。
一方大阪相撲では、東方が上段、西方が下段の横型二枚番付を用いていました。

ちなみに、江戸相撲の現存する最古の番付表は1757(宝暦七)年十月のものだそうです。
昨年、近世の芸能史を研究していらっしゃる、梅花女子大学の荻田清教授による
「見立番付のおもしろさ」という講義を受けたときに、1866(慶応二)年三月の江戸相撲の番付や
天保年間の大阪相撲の番付を見せていただきました。

荻田氏によると、江戸時代には相撲番付に見立てた名寄せの出版が盛んに行われていたそうで、
役者や神社仏閣、名所名物、蒸菓子製造所、
さらには悪口語録や下女の評判なんてのものまでありました。

これらの見立番付は、大阪相撲の番付に倣ったものは少なく、
多くは江戸相撲のそれをもとにしているようです。

いまも、江戸時代から続く酒蔵、老舗の和菓子店や料理店などに、
酒蔵番付や和菓子屋番付などが貼ってあるのを目にすることがありますが、
やはりどれも江戸相撲形式。
実際、1枚に収まっていたほうが、便利で見やすいような気がしますが、どうでしょう。
 
番付表の話ひとつ取っても、相撲は江戸文化の中心にあったことがうかがい知れますね~