相撲好きの父の旅立ち

私事ながら、先月父が他界しました。
81歳でした。
 
70歳で会社を退いたあとは故郷の福岡に戻り、母と猫たちと暮らしていました。
読書、俳句、ラグビーなどと並んで、相撲も大好きでした。
 
私が結婚する前から夫のことも知っていて一目置いていたようでしたので、
九州場所のたびに夫とお酒を酌み交わすのを楽しみにしていました。
 
10月中旬から入院生活を余儀なくされたのですが、
毎日テレビ観戦する、と九州場所が始まるのを心待ちにしていました。
 
稀勢の里関と高砂部屋新十両・朝弁慶を以前からずっと応援していましたので、
場所が始まると二人の活躍を何より楽しみに観ていました。
 
たまたま夫が、10月末のある宴席で稀勢の里関といっしょになった折に、
父の名前入りでサインをいただきました。
 
朝弁慶からも手形をもらい、その2枚の色紙を「これは宝物だ」と言って、
番付表や相撲カレンダーとともに病室に飾っていました。
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父が入院する前から、13日目(1120日)の溜席を用意してあったのですが、
11月に入ると衰弱が進み、結局国際センターでの観戦は叶いませんでした。
 
ずっと「20日、20日」といって楽しみに、
そしてそれを励みにがんばっていたので、本人も無念だったと思いますが、
その翌日、病棟の談話室にベッドごと移動させてもらって、
病室のものよりも大きなテレビ画面で、家族7人そろって相撲観戦を楽しみました。
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それで満足したのでしょうか、その夜息を引き取りました。
前夜亡くなった北の湖理事長を追いかけるように。
 
宝物だった2枚の色紙と、行くはずだった13日目のチケットは棺に納めました。
 
それにしても、夫が九州入りした翌日に倒れて救急車で運ばれ、
場所が終わって夫が帰京する前に葬儀まで済ませてしまった父は、
よほど夫を頼りにしていたのかもしれません。
 
葬儀には高砂親方と朝弁慶がお花を供えてくださり、
夫の甚句に送ってもらって、
相撲好きの父にとっては最高に幸せな旅立ちだったと思います。
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