甚句づくりの名人

相撲甚句全国大会の始まりは……。
 
昭和43年から相撲甚句愛好者のための甚句会を日本各地につくり、
指導普及に努めてきた呼出し永男(のりお)さんが、
昭和61年から全国大会を開催し始めたといいます。
 
永男さんは、昭和31年から相撲甚句の作詞を始め、
38年に横綱若乃花引退相撲の甚句を作ったのがきっかけで、
甚句作詞の名人として名を知られたそう。
 
相撲教習所で新弟子クンたちが毎日歌う
日本相撲協会錬成歌」の作詞も永男さん。
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15年ほど前、知人の結婚式で夫が永男さんと同席したときに、
錬成歌ができるまでのエピソードをうれしそうにこう語ってくれたそうです。
 
栃錦の春日野理事長から、教習所で学ぶ新弟子たちの
士気を鼓舞するために錬成歌を作るようにと命じられ、
作った詞を理事長室にもっていくと
「まだあるだろ? もっと考えてこいよ」
と机にしまわれてしまう。
何度も何度も持っていってはしまわれちゃう。
「こりゃダメだ。いつまでたっても終わらない」
と思った永男さんは、この詞に曲をつけてしまおうと
伝手をたどって古賀政男さんの一番弟子の甲斐晴文さんに作曲を依頼。
これを理事長に聞いてもらったところあっさりOKとなり、
昭和5411月に錬成歌として正式に決まったのだと。
 
ちなみに、甲斐さんには感謝状と金一封が協会から贈られましたが、
「お前は身内だからいいんだ」
との春日野理事長の一言で、永男さんは一銭ももらえなかったのだとか。