外国人力士への門戸解放

外国人力士への門戸を開いた4代目高砂の前田山は、破門や脱走を繰り返しながらも、横綱に登り詰めたという方。

手放しで横綱推挙というわけにはいかず、吉田司家が授与する横綱免許には「今後さらに粗暴の振る舞いがあったときには、この免許を取り消す」という意味の一文が添えられ、前代未聞の条件付きの横綱昇進となったのでした。

さてそんな前田山の、引退の引き金となったのは昭和24年の「シールズ事件」。

大阪で行われていた本場所を病気で休場し、東京に戻って日米親善野球を観戦。
シールズ軍の監督と握手を交わす写真が新聞に大きく掲載され問題となり、引退に追い込まれました。

握手が元で引退となったことに同情したGHQから「相撲をアメリカに紹介して回らないか」との話が持ち込まれ、4代目高砂は力士3人を連れて大相撲紹介のために渡米。

これが縁となり、11年後の昭和37年に大相撲初の本格的ハワイ巡業が実現しました。

彼がジェシーをスカウトしたのは、その2年後、第2回目のハワイ巡業のときのことです。

前田山の「粗暴な振る舞い」から見れば、曾孫弟子にあたる朝青龍のやんちゃぶりは、まだまだかわいいものに思えてきますが、その朝青龍の入門には、外国人力士への門戸を開いた4代目高砂が間接的に関わっていたといえますね。