コートは着ない!?

番付がすべてに優先されるキビシイ相撲界では、着るもの、履くものも番付によって違いがあります。
 
たとえば
雪駄を履けるのは三段目から(序の口・序二段は下駄か草履)
袷の着物を着られるようになるのも三段目から(序の口・序二段は単衣)
外套(コート)を羽織れるようになるのは幕下から
というふうに決まっています。
 
そして十両以上の関取になると紋付袴を着ることが許されます。
大銀杏を結えるのも十両以上の力士だけです。
 
幕下以下のお相撲さんが紋付袴姿で大銀杏を結える唯一の機会――
それは引退を決めたあとの断髪式です。
 
大銀杏がたとえどんなに似合っていたとしても、幕下以下のお相撲さんが大銀杏を頭に
乗せていられるのは断髪式の間のほんの一瞬。
つぎからつぎにハサミが入れられ、最後に師匠が髷をバツンと切り落としてしまうまでの短い命です。
 
切られるために結う大銀杏、なんだか切ない。
 
私が初めて夫の大銀杏&紋付袴姿を見たのは、断髪式のとき。
「最初で最後の大銀杏」となれば否が応でも感極まります。
 
さて、現役時代は寒い冬の日でも外套を羽織ることのなかった夫ですが、
引退して洋装になってもしばらくはコートを着ませんでした。
まだ太っていたし、寒さにも慣れていたのでしょう。冬でも薄着で平気な顔をしていました。
 
でも寒い日にジャケットだけで歩いていると、見ているほうが震えてきそうです。
私の母が見かねて、夫にコートを買ってくれました。
防寒することに無頓着な夫に、心配性の母はその後も、手袋や帽子、革ジャンなどを
つぎつぎにプレゼントしました。
 
夫は母からもらったコートにしばらく袖を通そうとせず、大切にしまっていました。
「せっかくだから着たら」と促したのですが、幕下にあと少しというところで手が届かなかった夫には、
コートを着ることに幾ばくかのためらいがあったようなのです。
 
ようやく着るようになってからは、少し落ち着かない様子ではあるものの、
どこかうれしそうでもありました。
 
引退直後から20キロちょっと体重が減って脂肪も筋肉も落ち、年をとり、寒さにとんと弱くなった夫。
いまではコートがくたびれるほどに着倒し、手袋、マフラーに、ニット帽までかぶり、
それでも背中を丸め、「う~、寒い、寒い」。
軟弱なオジサンになり果てました。
 
あのころのたくましさはどこへやら……