部屋だより

夫は2年ほど前から「部屋便り」をつくっています。
発行は、場所前(番付発表)と場所後(千秋楽)。
 
場所前号は、各地の後援会の方々への番付表に同封するため、
場所後号は、千秋楽パーティにお越しのお客さまに配布するため、
番付発表と千秋楽の前になると、夫はこの制作に忙しくなります。
 
以前は、原稿を書き、写真をそろえて、印刷会社さんに入稿していたのですが、
諸事情により、組版、印刷まで自分でするようになりました。
組版はネット上でダウンロードしたソフトを使い、印刷はインクジェット
と、ずいぶん簡易版になりましたが、手作り感満載です。
 
この「部屋便り」には毎回、近況報告と部屋からのお知らせが載ります。
そして今回の特集は、「高砂部屋の歴史」の第2弾。
 
歴代横綱70人のなかで、高砂部屋6人もの横綱を輩出しているのだそうです。
 6人の横綱のうち今回は、この3人を紹介。
・第16代 西ノ海嘉治郎(初代)
・第17代 小錦八十吉
・第39代 前田山英五郎
 
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私がとくに興味をもったのは、まず
小錦さんの本名が「岩井八十吉」さんだということ。
高砂部屋伝統の「小錦八十吉」というしこ名を
これまで6人が名乗ってきました(ハワイ出身のKONISHIKIさんが6代目) が、
「八十吉」が初代小錦さんの本名だったとは!
 
この小錦さんは色白・童顔で、当時(明治30年前後)かなり人気が高かったらしく、
彼の錦絵は飛ぶように売れ、「小錦織」なる織物まで発売されたのだそう。
 
それからA青龍の「巡業を休んでモンゴルでサッカー」事件が問題になったとき、
本場所休場中に来日中の大リーグを観戦したことから引退に追い込まれた、
という前田山さんが引き合いに出されていましたが、
この前田山さんのヤンチャぶりはA青龍の比ではなかったそうですね。
いまでは考えられませんが、複数回破門になっているのだとか。
 
それでも、引退後は4代目高砂として、横綱朝潮大関前の山、関脇高見山など
立派な力士を育てています。
 
さて、つぎの「部屋便り」の発行は千秋楽。
どんな報告が聞かれるでしょうか。