相撲は本来多面的

国立劇場では十月、「双蝶々曲輪日記」が通しで上演されていました。
「双蝶々」は、登場する二人の力士、すなわち濡髪長五郎と放駒長吉の名前の
「長」の音を取り入れたものだそう。

幸四郎染五郎の親子共演、一人三役を務める染五郎の早替わり、
スーパー歌舞伎並みのアクションなど、素人にもわかりやすい、見所の多い舞台でした。

二幕目の「堀江角力小屋の場」から濡髪と放駒が登場。
自分が贔屓を受ける豪商の若旦那への力添えを頼むために、
幸四郎演じる名力士・濡髪が、染五郎演じる素人相撲の放駒に勝ちを譲るという筋です。

「寛政力士伝」の「谷風情け相撲」は以前にもご紹介しましたが、
谷風が、病気の母親を抱える十両の佐野山に勝ちを譲るというお話。

このように講談や落語、歌舞伎などで“人情相撲”がしばしば描かれていたという事実は、
江戸時代の人々にはそれがごく普通に受け入れられていたことを物語っているように思えます。

元来、相撲は神事であり、呪鎮儀礼であり、芸能であり、
同時に、伝統文化でもあり、見世物でもあり、競技でもある…。
こんなふうに相撲にはいろんな側面があって、
どこからどこまでが神事で、どこからどこまでが競技という境界はいたってあいまいです。

相撲とは本来そういうものなのだと江戸の人たちはとらえていたから、
単に勝ち負けだけに価値を置いた見方をしていなかったのだと思います。

いまは、競技という側面ばかりがクローズアップされがちで
江戸のころの人々のようなとらえ方をする人は力士も含めて少なくなっているのかもしれません。