勝つ気満々→撃沈

こてんぱんにやられてしまった私の初土俵
1998年、北海道は福島町の「女だけの相撲大会」でのことです。

その前年、取材に訪れていたのですが、出場者のみなさんがすこぶる楽しそうだったのを見て、

土俵に上がりたい欲求を抑えきれなくなったのでした。

その夜、関係者の打ち上げにお招きいただいたのですが、

その場で「来年、出ます!」と宣言していました。

しかし出場している女性たちに比べて体格が相当劣ることから、

みなさんは私の宣言をあまり信じておられなかったようです。

1年後、福島町を訪れると、驚きの表情を浮かべて「本当に出るんですか?!」という反応。
言外には(そんな体格で?!)という言葉がにじみ出ています。

(どれほど私が相撲を知っているかみなさん、わかってないですねー。技で勝ちますよ、技で)
そう思って私は、余裕の笑みを浮かべていました。

ところがどうしたことでしょう、本番の土俵では技なんてかける暇も与えてもらえず、

立ち合った瞬間ゴロンゴロン投げられるではありませんか!

私は「こんなはずじやなかった」とうちひしがれ、うなだれて退散したのですが、

福島町のみなさんは「やっぱり!」と思われたことでしょう。

いま思い出しても、自信満々だった自分がオハズカシイ限りです。

相撲をただ知っているということは、土俵上では何の役にも立たない、

痛いほどそう実感させられました。

以来、二度とこの土俵には上がるまいと心に決めていましたが、

この大会の中心的役割を担う福島大神宮の宮司さんや行司をされている方、

町の青年部の方などとは交流を続けていました。

宮司さんは仕事で東京にいらっしゃるたびに食事に誘ってくださったり、

披露宴にもご多忙の最中、駆けつけてくださったりしました。

結婚して2年目だったでしょうか、

行司の馬之助さんからその年5月に開催される大会のポスターが送られてきました。
あの苦い経験から10年が経っていました。

ポスターが送られてきたのはこのときが初めてでしたが、後から聞くと

私に出場を促すおつもりではなかったようです。

しかし前年に宮司さんが急死されていたので、

この大会を大事にされていた宮司さんの追善供養のために出場しよう
という気持ちがごく自然に芽生えたのでした。