今は昔の「中学生力士」

玉輝山さんの3年後1967年に初土俵を踏んだ、故・北の湖前理事長もやはり、そのとき13歳でした。

いまでこそ入門は義務教育修了後と定められていますが、当時は「中学生力士」が認められていました。

それが71年11月場所中に中学生の本場所出場が問題となり、「中学生力士」はすべて4番相撲を取り終えた時点で帰京させられたといいます。
初場所は日曜日のみ出場して3番相撲を取り、次の3月は大阪での開催のため出場が許されなかったそう。

結局はそのまま、中学在学中の入門は禁止され、すでに在籍していた「中学生力士」は卒業まで、東京場所の日曜日のみ出場、ということになったようです。

玉輝山さんも北の湖さんも、これ以前に中学を卒業していたので問題なかったわけですが、まさにその渦中にあった当時の「中学生力士」には、ともに71年名古屋場所初土俵の、後の大関琴風と小結大徹や、翌九月場所初土俵の関脇鳳凰などがいました。

「中学生力士」はほとんどが墨田区立両国中学校に通っていましたが、彼らは学校でお弁当を食べて寝るばかりで、ほかの生徒に悪影響――これが「中学生力士」が問題となった理由のひとつという話もあるとか。