座布団乱舞

初場所14日目の結びの一番。
横綱白鵬大関稀勢の里に敗れるや、
舞うわ舞うわ、座布団がいつまでも舞い続けました。
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たしかに座布団乱舞の光景は、相撲観戦の醍醐味のひとつ。
この日は桝の後方に座っていたので、この光景をいささか興奮気味に楽しみましたが、
溜席なんぞに座っていると、勢いよく飛んでくる座布団がたいそうオソロシイもの。
アナウンスが繰り返すとおり、“座布団や物を投げると危険”です。
 
さて、この座布団投げは江戸時代の、贔屓力士にご祝儀を渡すために
羽織を投げ込んだことに端を発しているようです。
羽織には家紋や屋号が入っているので、
それを頼りに力士が持ち主に返しにいくと、ご祝儀をもらえるというわけ。
ご祝儀を投げることからこれは“投げはな”と呼ばれたそうです。
 
講談「谷風七善根」のひとつ、「佐野山権平・情け相撲」にも“投げはな”が出てきます。
病気の親の看病のため不振に陥った佐野山に、谷風が勝ちを譲るというお話ですが、
観客は谷風の情け深さを称え、はなを投げそれは600両余りにもなったのだとか。
佐野山は力士をやめて故郷に帰り、そのお金で米屋を始めて成功したのでした。
 
“投げはな”は、明治42年に前の両国国技館が完成した際、正式に禁止されたそう。
投げるという行為は、座布団投げへ、
贔屓力士へのご祝儀は、懸賞金へと引き継がれているんですね。